ハリウッドには、涙の方程式がある。
それは、とてもシステマティックでシンプルに出来ている。
映画やドラマ。
『泣ける話』と言われるものには、『泣かしてやる』という作為が入っている。
つまり、僕たちはマーケティングと計算によって泣かされているという事だ。
その行為には不健全だけど快楽が伴い、無性に引き寄せられる時がある。
てっとり早く泣きたいときに、あなたはその方程式のお世話になったことは無いでしょうか?
だけど、そもそも『涙』ってのは流さないに越したことはない。
痛い。
悲しい。
つらい。
そんな思いは、誰だって味わいたくないのだから。
それでも、泣きたくなる時がある。
...何故なんだろう?
そんな『涙を流す』っていうリビドー消費行為にとっても興味がある。
涙が流れるのは、辛い事があるからだ。
でも、本当に辛いのは、涙が溜まっているのに流せない時。
それは、もの凄く辛い。
大好きだった恋人にフラれて、フヌけた毎日を過ごしてる時。
人生の分岐点で、テストに落っこちてしまった時。
今まで打ち込んできた道に限界を感じて挫折してしまった時。
信じていた人に裏切られた時。
仕事で取り返しのつかない失敗をして、多くの人に迷惑をかけてしまった時。
ショックからすぐに立ち直れる人なんて、いない。
大きなショックを受ければ、それを引きずりながら人は日々を過ごす。
表に出る感情ではなく、心が泣いている日々。
そういう日々を過ごし続けると、涙は心の中にたまってゆく。
歩いてるときも。
ご飯食べてるときも。
眠っているときでさえ。
休まずに一滴ずつ。しとしとと、たまってゆく。
そんな涙を排泄できないのは、すごくつらい。
本当に本当に、つらい。
だから、それを解放したくなるのは、とても自然な欲求ではないだろうか。
『どうしようもなく溜まった涙』を一気に解放したら、そりゃ気持ちが良いだろう。
エクスタシーの極み...いうなれば、『心が射精したがってる』って感じだ。
本能的な行為で楽しみが伴うのは食欲と性欲だけじゃなくて、
『涙欲』ってのもあるということ。
では『泣きたい』と思って何かの力、つまり映画やドラマや小説のような
アイテムの力を借りるというのは、いったいどういうコトなんだろうか。
これは、風俗に行って一発抜いてくるのと根本的には
全く同じ行為じゃないのかな?
だから、心のどこかに一抹の後味の悪さが残る。
『計算ずくで泣かされてしまった』という不健全な快楽が伴うのだ。
もし、全くそれを感じさせないドラマがあるとするならば、
そのドラマは超一流のエンターテインメントだ。
まるで強烈な恋心を抱かせる風俗嬢のように、
プロフェッショナルの極みだと思う。
でも、その裏には必ず超一流のドライさと計算がある。
欲望をビジネスにつなげるというのは、そういう事だから。
そこに気づかない人たちの方が、本当の意味で凄く幸せなんだけれども。
『泣く』ことと『射精』とはプロセスと結果が驚くほど似ている気がする。
今まで女性に
『男の人がイクときってどんな感じ?』
...って聞かれてもうまく説明できなかったけど、
今度からは説明できるかな。
『泣きたいときに思いっきり涙を流す感じ』って。
で、泣ける映画に行ってる女性。
あなたの行為は風俗に行ってる男性と、本質は同じです。
泣ける小説を買っている女性。
あなたの行為は、エロ本を買う男性と同じです。
晴らすのが『性欲』か『涙欲』か。
そんなことはささいな違いだと思いませんか?
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