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『ハイバイ オムニ出す』
梅雨の只中にあった6月21日、雨に降られて開演数分前に滑り込んだ下北沢の駅前劇場。そこで観たのは、岩井秀人が主宰する若手劇団ハイバイの公演『て』だった。対面客席に挟まれた舞台で展開されたのは、簡潔に言えば家族群像劇。幼い頃に父親のDVを受けた息子・娘たちは、成長するにつれて彼を疎み、いつしか互いに離れて暮らすようになっていたが、痴呆の祖母のもとに見舞いという理由で家族が再び一堂に会す、という物語。観劇後、一緒にカレーを食していた枡野浩一さんが絶賛していたのだが、筆者はどこか同意できずにいた。確かにウエルメイドな芝居だったけれど、演劇の新次元を拓くような表現だったのか、と。
祖母のお葬式という「終わり」から始まるストーリーは、時間軸を遡り同じシーンをなぞったり、主人公を設定せずそれぞれのキャラクターに視点を次々と移したりして進行していった。世話焼きでまとめたがりの長女、シニカルで屈折した長男、スクエアな正義感を振りかざす次男、少し間抜けで舌足らずな次女、理不尽きわまりない父親、DV夫に耐えて物静かに暮らす母親。これだけ性格が異なる人物たちが分かり合えるはずはなく、お互いの感情が衝突するわけだが、終盤で断ち切れない家族という絆の強度を我々に見せた。なるほど演劇手法という点で新しさはなかったかもしれない。でも、観劇の記憶を反芻するうちに見えてきたのは、キャラクタライゼーション、視点が切り替わるタイミング、なぞるべき場面の切り取り方、観客に照り返される主題の深度、陰鬱な話にはさせないユーモアのセンス......すべてが完璧に近いのではないか、ということだ。ここ数年、若手による演劇が活況を呈していると言われるが、フリーター、ニート、格差社会......といったロスト・ジェネレーションを取り巻く環境に埋没し同世代/同時代的なセリフで観る者に共感を求める芝居には正直辟易していた。そういったものがお粗末に思えてしまうほど、岩井が目指す演劇表現の精度の高さは若手と呼ばれる演劇人たちの間で群を抜いている、と遅ればせながら実感したのだった。
そんなハイバイの持ち味を「150%濃縮還元」したと本人たちが自負するオムニバス公演、その名も『ハイバイ オムニ出す』がリトルモア地下で10/19?11/5に行われる。劇団旗揚げとなった『ヒッキー・カンクーントルネード』の上演や、落語からSF、フランス系と名づけたモダン演劇(?)まで挑戦するという。個人的には、古典戯曲『オイディプス王』を口語劇で再構築した作品『おいでおいでぷす』の成功を知っているだけに、落語をどう調理してくれるか気になるところだ。いま今回の公演資料を見ながら「まあお話はいつも通り」とか「ちっとも進化していない」という言葉が謙遜に思えるのは、また『て』で体験したパーフェクトな演劇表現を予感しているからだが、それをやってのけるのは、新しいことを試すよりも実はずっと難しいのかもしれない。(SV編集部N)

ハイバイ『て』より 撮影:岩井泉
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